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山田 太郎(やまだ たろう、1967年5月12日 - )は、日本の政治家、実業家。日本を元気にする会所属の参議院議員(1期)、日本を元気にする会政調会長、株式会社ユアロップ代表取締役。ネクステック株式会社(東証マザーズ上場企業)前代表取締役社長。東京工業大学大学院社会理工学科特任教授。早稲田大学大学院商学研究科(早稲田大学ビジネススクール)客員准教授。東京大学大学院工学系研究科(工学部システム創成学科)非常勤講師。早稲田大学理工学術院非常勤講師。北京航空航天大学名誉教授。アナハイム大学名誉教授。 == 経歴 == * 1967年 - 東京都大田区に生まれ、同区で幼少時代を過ごす。麻布中学校・高等学校卒業。 * 慶應義塾大学経済学部に入学。大学時代は、TBSラジオの制作に携わり自ら番組にも出演していた。また、世界50ヶ国以上を旅行し、日本に帰国できず留年を繰り返した。 * 大学卒業後、NHKディレクターの内定を断り、アンダーセンコンサルティング(現在アクセンチュア)に入社。その後、バーンジャパンに入社。オランダ製ERPパッケージのバーンを日本に導入する。このころから製造業のコンサルティングやシステム開発に携わる。同社が日本に進出した際のスターティングメンバーとして日本法人立上げに参画する。さらに、プライスウォータハウス(現在日本IBM)に入社。製造業をはじめ様々な企業のコンサルティングを行う。その後、パラメトリックテクノロジー(米国最大の機械系三次元CAD)の開発販売会社、米国ナスダック上場企業に入社。マーケティング担当の副社長となる。米国本社と日本との往来を繰り返す。 * 2001年 - スピンアウトして製造業専門専業のコンサルティング会社ネクステックを創業設立、代表取締役社長に就任。当時、設計領域のソリューションであるPLMについて日本の製造業に幅広く普及させる〔「実践!PLM戦略 製造業の競争力優位の経営手法 PHPビジネス選書」PHP研究所〕。 * 2005年 - 東証マザーズに上場。設立から実質3年半で上場まで導いた。その後、フォーリンク社、ポータル社を次々と買収、子会社化する。2007年には中国兆維グループのIT子会社を買収、中国市場へも展開する。2005年には「アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー2005」ファイナリスト受賞。2006年には「創業・ベンチャー国民フォーラム」起業家部門受賞。2007年には「日中韓若手経済人」賞受賞。「ガイアの夜明け」「ブルーンバーグ」等テレビやラジオに多数出演した。その他、経済産業省「ベンチャー企業の成長に関する研究会」委員、日本経団連企業創造委員会メンター研究会委員などを歴任。早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士課程修了。東京工業大学の特任教授、早稲田大学ビジネススクールの准教授にも就任する。 * 2008年 - 同社増資により、富士ソフトと経営共創基盤の子会社となり社長を退任。取締役顧問となった。 * 2009年 - 同社を完全退任。その後、物流、卸売業を中心にコンサルティングを行うロジサイエンスを創業、社長に就任。また、現在、東京大学や早稲田大学の教授としてゼミを担当している。 * 2010年 - 第22回参議院議員通常選挙にみんなの党の比例代表として出馬するも落選(当選者は7名で山田は10位だった)。 * 2011年 - 株式会社ユアロップの代表取締役に就任、日本の技術系企業の海外進出を支援するサービスを展開している。 * 2012年 - 第22回参院選比例区の上位当選者が第46回衆議院議員総選挙への立候補に伴う自動失職により、繰り上げ当選〔 (時事通信)〕。 * 2013年 - みんなの党アジェンダ2013(第23回参議院選挙向政策公約)の作成のとりまとめ統括を行った。 * 2013年 - 副幹事長就任。党政策調査会副会長に就任、併せて政策調査会・経済財政部門(金融財政・農林水産・経済産業・国土交通分野)部門長兼務。 * 2014年 - みんなの党が解党し、所属していた参議院議員のうち6名で新会派日本を元気にする会を結成。第188回特別国会の首相指名選挙では同会派は自由投票とし〔会派代表者の松田公太はブログで“特別に投票したい議員がおらず、「我こそが国を経営するに相応しい」という気持ちがあれば、自分に投票するのも一考ではないか?との提案もさせて頂きました。”と語っている。 日本を元気にする会の初国会と首班指名|松田公太オフィシャルブログ Powered by Ameba 〕、山田は自らの名前を記入した。 * 2015年 - 政党・日本を元気にする会の結党に参加し、政調会長・幹事長代行に就任する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山田太郎 (参議院議員)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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